宍粟市新四国八十八ケ所霊場

下河野の八十八ケ所霊場を紹介

宍粟新四国八拾八ヶ所霊場

    千種町 室 西方寺さんに訊ねる。(千種大師教会)
船越山瑠璃寺南光坊一番札所から千種川を北上、河内~西河内戸井下51番札所を経て千草から右まわり、鷹巣谷口71番札所から、山崎町大澤方面をまわって、塩山、上三河、河崎を経て船越山大日堂の八十八番札所までの八十八ヶ所の真言宗の開祖「弘法大師空海」の霊場。

 
毎年4月21日は弘法大師(入寂62歳)の命日(本来は旧暦の3月21日)で弘法大師を偲ぶ法要が弘法大師祭「おせったい」があり、お参りすると、お菓子が頂ける行事があります。

この行事はお遍路さんを支援する風習で、お遍路さんに宿や食べ物を無償で提供していた善意のおもてなしから今日も受け継がれている。

全国にお大師講という集まりが行はれるようになり、21日を縁日として、その得業をたたえ、また平安と繁栄を願うまつりがひろがっていったものと伝えられている。

大師講には宗派を問わず多くの人々が参加しており、縁日に集まることにより人々は連帯感を強めていったとされる。

 

下河野の十二番札所は、地元では、お滝さん、お大師(だいし)さん、と称えられ、毎月1回お大師講がひらかれ、十三仏真言(じゅうさんぶつしんごん)の不動明王(ふどうみょうおう)を近隣の人々が錫杖(しゃくじょう)を振って称えます。

お茶を飲みお菓子を食べながら、地縁(地域社会)の連帯感と絆を強めています。

 

下河野の村にも昭和30年位まで大澤地区のお遍路さんに宿と食べ物の接待をしていた。隣村の情報や通婚の話で横の関係の絆が強がった。

 

錫(しゃく)杖(じょう) 杖の頭部の金属製の輪に,数個の小環をつけ,振り鳴らすもの

戒(け)錫(しゃく)ともいう。

柄の短いもの,床に突き立てて鳴らす柄の長いものがある。


第十番礼所

一里堂

(いちりどう)

 

宍粟市指定文化財

第十二番礼所

お滝さん

戌ケ谷

(いぬがたに)

第十四番礼所

猶原(ならばら)

 

第十一番礼所

宮の下 阿踏

  (あぶみ)

第十三番礼所

下城(下庄)

 


八十八ヶ所逆打ち(逆巡礼・逆まわり)

天長元年(824年)、伊予の国(愛媛県)に衛門三郎という庄屋が住んでいました。
ある日、家に托鉢僧がやって来ましたが、三郎は竹箒で追い払ってしまい、その翌日から子供たちに異変が起こり、わずか日間で人の子供が全員亡くなったのです。
悲しみにくれる三郎は、「あの時の托鉢僧は弘法大師であった」と気付き、許しを請うため八十八ヶ所を巡拝している弘法大使の後を追い、お遍路を始めました。
ところが二十回巡っても、いっこうに弘法大師に会うことができず、二十一回目に「逆に回れば会えるのでは」と思いお遍路を逆から巡りました。
永年の苦労もあり第十二番焼山寺山下で倒れ意識が遠のく中、ついに弘法大師が現れ、全てを許された三郎は心安らかに成仏しました。
逆から巡りはじめた年がうるう年だったということもあり、一度四国八十八ヶ所を巡った人が四年に一度の「うるう年」に逆打ちをすると、弘法大師に出会えると、お遍路さんの間では言われています。
また、通常は一番札所から順に巡るために整えられてきたお遍路道を、逆に巡って結願する苦労があることから、さらに深い徳を授かれるとも言われて、今に伝わっています。

参考文献「四国霊場参拝のしおり」(屏風浦海岸寺)