村の自治と社会生活   (千種町史より)

 

地下(ちげ)(かぶ)

 

戦後、すべての農村が惣であるように、千種も近代化の波を受けて極端に変わってきた。

年中行事の多くが廃され、信仰心もうすれてきた。

それにとも無いって人の交際にも変化が現れている。経済の成長が金銭万能の考え方を人々にうえつけととめ、「いつ、どこで、誰の世話になるか判らん」という、農村的思考の基幹となるものまでが揺らいで来た。

 

「祭り食い」が、普段行き来のない親戚同志の心を温めあう唯一の機会であったし、一軒の家に近所中の者が藁束(わらたば)を持ち寄り、四方山(よもやまばなし)噺に興じながら囲炉裏を囲んで夜業(よなべ)をすることもなくなった。

建前(たてまえ)に村中の者が集まって祝い歓びあうこともなく、頼まれて手伝いに行く人だけに規制する。いわば都会風にかわりつつある。

 

そ のような心の変化が地下の意識を弱めてきた。「ジゲ」というのは一、二の隣保単位ほどの小地域のことであり、語源となっているのは、中世荘園制度において 地頭の下に隷属支配を受けた百姓などをさす「地下人」からきた言葉だとされるが、ちくさの人々にとっては、人と、生活の場としての地域の両方をさすもの で、血の通ったようなぬくもりを感じさせる言葉だとおもう。

 

遠い先祖の代から冠婚葬祭をはじめ、日常生活や労働を通じて助け合い、喜怒哀楽を共にしてきた人々と、その生活の地域であったから、都会に出た人達が、故郷という話に対して抱く気持ちに通じるものがあるのではなかろうか。

 

だが古い「しきたり」を尊ぶ老人たちの胸の中だけ本当の「ジゲ」は生きており、現実には近所の人の仕事が遅れていても知らん顔で「アオモン」採りにいつたり、釣りを楽しむ人がふえ、「ジゲ」の祭神や、太師堂にも香華(こうげ)が途絶えがちになった。村は今や氏神を中心とする精神的統合体が解体されつつある。

 

村の構成員の最小単位は家族であるが、地縁的に横に拡げれば「ジゲ」であり、地縁的に縦につながれば親類となる。その複合体が集まって村を形成しているといえる。

現在の考え方からすれば、昔は血縁の濃淡にかかわらず、同一の先祖をもつ家々を   「カブウチ」と称して親交を重ねた。特に葬礼の役割は、姻戚などより株内を重視することは今も保たれているが、平素の交際(つきあい)や慶事などには株関係よりも血の濃さが先行するようである。

株の神とか「イワガミ」と称して共通の先祖を(あが)める神は、先祖供養のために建てられた五輪塔であったり、自然石を納めたみすぼらしい(ほこら)だった。